(俳)雑感と作品毎の感想

初出 '99/11/02 02:45
'04/02/03 一部修正



 この巻は中盤になるまで、今回は意外に地味かもしれないと思いながら読んでいました。初盤でも「遍歴譚」や「君知るや南の国」など、気に入った作品もあって、どれもそれなりに面白くは読んだのですが、全体に小粒な気がしてしまったもので。
 やはり「演技者」という縛りはきついのだろうか、と思ったところに、「佐夜子」のあの狂気の老婆の描写が。
 それからやや読み進んで「願う少女」の痛さに、「柚累」の家屋世界の空気に魅了され、締めの「化粧」を読み終わる頃にはオールオッケー、と言う感じになっていました。

 ただ、今回は校正のミスだろうと思われる所が目立ちました。
 これまでの巻でも誤字などは多く、その程度のことは気にしなかったのですが、「飛胡蝶」には突然文体の人称が変わった一文がありますし、「陶人形」には脈絡のつながらない文が入っています。(おそらく少し後に入るはずの一文がまぎれこんだのだと思うのですが)
 「黄昏のゾンビ」にも人称の混乱と思われる部分があります。もしかしたら意図的なものか、とは思ったのですが、やっぱりなんとなく不自然。同じような人称の混じる文章は「化粧」にもあるのですが、こちらは冒頭で「私こと篠田」と書いているために不自然でなくなっていますので、作者の意図したものだと分かるのですが。
 ちょっとしたこととは思うのですが、雑誌ではなく文庫本の形を取っているだけに、この文面のままで当面は販売されてしまうでしょう。それを考えると、発売前にもうちょっとチェックして欲しい気がしました。誤植程度ならともかく、作品の内容に関わる間違いは気になります。

 というところで、各作品の内容について。
 先の発言でも書きましたが、「俳優」と言うテーマのホラー、と言うことで連想したのは、呪術や信仰儀礼としての芸能、神懸かりといったものだったのですが、そうした作品は意外に少なかったですね。(皆さんバッティングを避けたんでしょうか??)
 次に連想したのは「芸」や「表現」というものに取りつかれてあがき、そのために道を踏みはずしていくというテーマでしたが、意外にこうした作品は見られませんでしたね。個人的に好きなんで、(「オペラ座の怪人」とか――これは演劇じゃなくて歌ですが)ちょっと期待していたのですが。例えば、「時間怪談」収録の「「俊寛」抄―世阿弥という名の獄―」はそうしたテーマを描いている好きな作品なのです。
 しいて挙げるなら「新人審査」がそれに近いかもしれませんが、この話のヒロインは女優になっていない立場なので、「芸」のためにというよりは「憧れ」のため、という感じがしますしね……

 「踏み外す」までいかないまでも、「取りつかれてあがく」所までを描いているのが「決定的な何か」と「化粧」だと思いました。私がこの二作をご贔屓に入れているのはそうした理由なのかも。
 これについては以下で、作品別に触れたいと思います。


「化粧」菊地秀行
 静かな話です。しかし激しい人の動きはないのに、このドラマ性はどうだろう、と。
 ここで起こった不思議について、「何が起こった」と具体的に書かれてもいないのに。
 通れるはずもない土手道をやってきた「迎えの車」の正体も、他の二人の演技者の首尾も、依頼された「扮装」「演技」の内容も、ぼんやりとした輪郭のようなものしか示されていないのに、そのおぼろさ故にかえって心に残ってしまう。

 私も勤め人ですので、文中の篠田の役者としての悩みを理解しているかどうか、怪しいところではあるのですが。
 自分の技量一つで仕事を続けていくというのはどうしようもなく不安なものなのでしょうね。自分の技術は他の人に認めて貰えるのか、まだ使えるのか、ということは。きっと俳優のような、観客に「見せる」ことを目的とした仕事では、過去の信用だけではどうにもならない部分があって。
 それを表していたのが他の二人の演技者なのでしょう。人間国宝にまでなった歌舞伎役者でも、人気を恣にした青春スターでも、たった一人を相手の、一度限りの「依頼」には失敗してしまう――おそらくそう――。
 それまで築き上げた名声も何の役にも立たず、たった一度のことで容易に頂点から滑り落ちてしまう。

 彼らに何が足りなかったのか、篠田に何があったのか。「行く先も見えない月の土手道を車を断って歩いていく」という象徴的なものでしか表されてはいませんが。
 迎えに来た車はこの世のものならぬ存在の「楽な道への誘い」だったのかもしれないし、月の光や川の音に心を向ける感性が演技に不可欠なものであったのかもしれない。でもこうした予測は文中では何一つ保証されていません。
 ただ、余計な想像かも知れませんが、一つ気になった所がありました。勝又と最初に会う前のところです。

  「感傷的なお嬢ちゃんなら泣き出してしまいそうなくらい澄み切った蒼空で、
   こんな日は野外の劇場でマクナリーの一幕ものなんかをやりたいと――」(p620)


 なんということもない説明の一文とも取れますが、こうした感性があったために篠田は月光の土手道の魅力にも気付いたのではないでしょうか。
 果ても見えないほどの月光の道に何の魔力があったものか、また化粧した篠田の姿に依頼人の老人が何を見たのか、どちらも書かれていないのですが。
 それでも「何か」があることだけは読者にもちゃんと分かるのです。


「願う少女」矢崎存美
 女優になろうとしてなれなかった少女の切ない物語ですね。
 子供を亡くしたステージママの物語、と見えていたものが、旧友の麻理に会ったところから違った様相を帯びてきます。
 劇団に入ろうとして案内書を取り寄せた時のエピソードに現れている、憧れと挫折の姿が効いていると思いました。憧れて子供なりに手を尽くして一生懸命なのに、あっさり破れてしまう。せめてもと中学高校大学と演劇を続けても、結局努力が実を結ぶことはない。
 しかし夏子は泣き言をいう美咲には言っていたのです。「やる気さえあれば、何だってできるのよ」と。それは自分の消えない憧れのはけ口だったのか、あるいは自分で破れていながら信じたかった願い事だったのか。

 もし美咲が死ななかったら、いずれ夏子は美咲の反抗と衝突すると言う形で自分の夢が破れている事実に直面したことでしょう。しかし夏子はそれを突きつけた美咲を殺すことになってしまいました。
 娘に死んで欲しいなんて思ってはいなかったのでしょうが、自分の挫折を突きつけられることには耐えられなかった。

 もしかすると、夏子が美咲を突き飛ばしたことを忘れていたのは、我が子を殺した罪の意識だけではなく、挫折を指摘された痛みを避けていたためだったのかも。
 美咲が「やる気になった」様子で夏子の前に現れた事は、夏子の憧れや傷をうまくついていたのでしょう。

 これは忘れられたことへの美咲の報復だったのか。
 あるいは美咲の幽霊など本当はいなくて、我が子を亡くしたこと/殺したことを受け入れられなかった夏子の見た幻覚だったのかもしれませんが。


「遍歴譚」五代ゆう
 救いようもなく悲惨な最後迎えるヒロインの、なんとバカでいじらしいこと。(きっと実際に身近にいたら腹立つだろうけど)

 しかし、この話の中では「砂糖菓子みたい」「本物」と綺麗なイメージしかしか書かれていないノーマ・ジーン/モンローですが、裏ではかなり悲惨だったと聞きますしねえ。結婚生活が破綻して孤独で、カウンセリングを受けアドバイスに従って家を買ってみても不安は消えなくて。
 夫がいても恋人がいても満たされなかった、そういう不幸は「あたしタツヤを愛してるの」と言いながらも、昔(といっても18ならそんなに昔ではないはず)親と一緒に暮らしていた平凡な少女だった頃を思い出すと泣きそうになる、ミミの姿と妙に似通っています。
 そしてどちらも望んでいたことは「愛して」の一言に尽きる。

 そういう全ての、愛して欲しかった者達、願いが叶わずに不幸な最後を遂げた者達が溶け合って、排水溝からやってくる彼女の姿をとったのでしょうか。救われたかったノーマ・ジーンの想いが、自分と同じような不幸な者の所へ現れてせめてもの手をさし伸べるのか。
 あるいは、別の不幸な女の最後に現れる時には、また別の姿を取るのかもしれないけれど。

 にしても巻き添えを喰って殺されたおじさんはちょっと可哀想ですな。
 まあ、うかうか十代の女の子なんか買うもんじゃない、ということでしょうか?


「佐代子」飯野文彦
 子供の頃、一目見ただけで忘れられなかった写真の女優を追って――と、いう序盤部分には興味を引かれましたが、ここまで衝撃的な話になるとは思いませんでした。
 やはりこの話の衝撃は「5」の伏見あき子の描写に尽きますね。なんて怪しげな。
 仮名遣いのおかしい張り紙の文章などは、どっかで見たようだなと思う物もありましたが、これでもかと並べられると「変」さに引きずられるようで。しかも家に入ると眩暈のするような異臭。
 このあき子の家(あき子本人含む)は、異形コレクションでも「ニグ・ジュギペ・グア」や「オヤジノウミ」「おもいで女」等に並び賞されるべき「厭な物」ではないかと思うのですが。如何でしょうか。
 このシーンのあまりの衝撃に、次の場面へ移る頃になって、そうだ、一体「遠山佐代子」の謎はどうなったい、決着が付かないまま終わるんじゃなかろうかと不安になったくらいでした。まあ、これだけ厭な物見せて貰ったからそれでも良かったのですが、ちゃんとオチもついていましたね。
 阿片のせい、という「理に落とす」結末に大人しくまとまってしまったような気がしたのですが、よく考えるとあき子から時夫への連絡がどうやって伝わったのかが、それでは説明できないのですね。一見説明がついたように見えて――という何が起こっている怖さを含めて味わうべきものなのでしょう。
 それにしても厭だこんなばーさん。何が厭って、ここまではいかないにしても、どっかピントがずれてるこんな感じに変な人はすぐ近くにもいそうで、文中の表現に「あるある」という気がしちゃうあたりが。


「決定的な何か」早見裕司
 「俳優」の中でこの作品が立っているのは「声優」という特殊な芸能の世界を扱っていると言うこと、役者さん達の舞台裏の描写がなされているということ、そして芸の世界の不安や苦痛なるものを描いているということによると思いました。
(声優、はともかくとして、舞台裏の話は他にも書く方がいるかと思ったんですが、意外にもこの作品くらいでしたね。強いて言えば「メイクアップ」の特殊メイクについての描写くらいか)
 同じテーマを描いているのが「化粧」だと思うのですが、この話ではもっとはっきり書いています。ベテランの浅理の台詞として書いているのでやや説教臭いですが。

 要するに楽しようと思っちゃ駄目と言うことか。苦労してあがいてみないとつかめない事がある。不安を抱えながら、それでも誰もが芸の世界に身を置いて自分の技術を磨いていく。
 これだけ言うと一見旧態依然としたスポ根のようですが、「芸」の道には共通する真理なんではないでしょうか。
(ま、天才は別でしょう。最初から息をするように芸のできる人もいるのかもしれませんが、世の中のほとんどの人は努力で上がっていかないきゃなりませんからねえ)

 しかし、ちょっと収まりが悪かったのは、優佳の「吹き替え」に現場のほとんどの人間が気がつかなかったということですね。「決定的な何か」が足りない状態でも左京民子としてやっていけてしまうんじゃないかと。
 まあ気がつかれる危険を減らすために左京民子としても仕事は減らしてはいたのでしょうし、優佳も自分の名前での仕事でレギュラーを取れない事実があったのだから、確かに「何か」は足りないのでしょうけれど。


「君知るや南の国」篠田真由美
 この「君知るや〜」も私にとっては次点くらいに入る好きな作品です。
 「旦那様」こと三杜有則について、明治十九年の内閣制度発足時に文部大臣となるという具体的な情報が出されていることから、おそらくこの話は元になった史実があるのでしょうね。実体の程までは分からないにしても、外交官夫人の海外でのスキャンダルといった。

 この話の筋だけを言えば、貞淑で誠実であるが故に悲恋の苦しみを味わうことになってしまった良家の婦人の物語ですが、永の別れの知らせを本人に成り代わった役者が持ってくる、というのがこの話を幻想、怪異譚にしてます。
 あっさりと書かれていますが、これも「演じること」の魔力が夫人の恋を呼び覚まし焚き付け、一人だけの幻想の中に沈めてしまったということなのでしょうね。知らせがこういう形でもたらされたのでなければ、夫人も思い出の痛みを感じつつも正気の世界に留まっていたでしょうし。

 ところで、この役者は何者なのでしょうね。アントーニオの言づてを持ってきたことからして臨終の床か、よほど強い願いを持った時にしか会えない存在なのか。
 依頼人の姿を借りて、依頼通りの演技をしてみせる……それはある種の「役者」という能力を持った妖怪なのかも。


「柚累」斎藤肇
 全部をちゃんと咀嚼できたわけではないのですが、設定には魅了されました。どこまでも続く木造家屋の世界。田舎の古い大きな日本家屋で迷子になってしまったような世界。ファンタシィなのだけど、ほとんどの日本人には憶えがあることでしょう、この空気は。

 旅芸人はやってきて去っていく。日常の中に「舞台」は現れて消えていく。
 でも「旅」と「舞台」が日常である者もいて、それがどこで他の者達と違った道に行くことになるのかはその時になるまで分からないのでしょう。舞台に選ばれるのかもしれない。そうした生き方を目にしてそれと知るのかもしれない。
 おそらく現実世界だとその境界を跳びこえるという出来事はもっと困難で劇的で、あるいは悲惨なことでもあるのでしょうけれど。この話ではごく自然な成り行きのように書かれています。

 さて、しかし問題のラスト。
 これは、少女が舞台の上に上がるまでの物語、として少女「柚累」の視点で読んでいたのが、実は物語の世界全体が観客の前に展開された「舞台」の匣であった、ということ?
 ちょっと唐突な感じがするので(しかしそうでないとオチとしてのインパクトが鈍るのか)今一乗り切れなかったのですが。

 ところで、あの旅芸人の謡の歌詞は何か原典があるのでしょうかね。内容が分かりそうで分からないのですが。地方の古謡か、それとも文体自体創作かしら?

「月夜」柴田よしき
 有名男優の「そっくりさん」であることに満足しきれない男と、古い神に捧げ物をする狐、そして捧げ物を受けた神々の物語。
 と、いう設定は面白いのですが、ポイントはもっと絞り込めたたかも、という気がしました。高村の替え玉の男の、嫉妬や焦燥があらわになって来るあたりは期待して読んだのですが、それもこの話の主題ではなかったらしいので……
 願い通りに「高村一太郎」になって、その代わり逃げ損ねた殺人者になってしまう、というオチなら、「石舞台に神々がいる」という最後の説明パートはもっとごくごくあっさりしていたほしかったような、などと思います。
 忘れられているようだけど神々はごくあたりまえにそこにいる、というのは個人的には好きな話なんですけどね。
 しかして、狐はどんなご褒美をもらったのでしょう? もしかしてギリシャ神話にある「死は贈り物」というやつかしら。


サイト管理人連絡用メール送信フォームはこちら

「俳優」データ
俳優
楽天ブックス当該ページ

Amazon.co.jp当該ページ
bk1.co.jp当該ページ
セブンアンドワイ当該ページ
JBOOK当該ページ

「異形」トップへ