猫  話

 私は猫狂いの猫道楽だが、世の中には猫の嫌いな人もいる。
 それはまあ仕方のないことだ。人間には自分でもどうしようもない好悪の情というのもあるし、世間一般の水準から言えば、どう考えても私の猫狂いの方が異常だ。
 猫の嫌いな人が一生できるだけ猫と関わらずに暮らしたい、と思うのももっともだし、そういう人が思いがけず道ばたで猫と出くわしたら、きっと不幸なことだろうと同情もする。(私だってできれば×××には出くわしたくない。罪はないのだとは思うが……)猫の事に触れないようお互い気を付ければ、そういう人とも友人づきあいができるだろう。
 ただ、それにも限界はある。
 好きこのんでわざわざ猫を連れてきて、逃げられないようにしておいて殺傷するような輩にどんな事情があったかは知らないが、何をどうしても同情はできない。
 とある動物関連サイトからネット上の情報と写真の存在を知った。
 見に行って吐きそうになった。腹が立って。私は軟弱なので(異論のある方もおられようが、まあここはおいといて)さすがに虐待写真は見られなかったが、それでも十二分に気持ちが悪い。
 同じ人間、とはいえこうも個体によって感覚が異なる物か。私が愛くるしいと感じる姿とか、触ったときの温かさ柔らかさとかなつこい反応というものに、全く何も感じない――あるいは逆に不快感を覚える――人間もいるのだということを、知識でなく感覚で思い知らされる。もしかするとこういう奴には、実は言葉も届いてはいないのかもしれん。一見意志の疎通ができているように見えたとしても、内面の距離は埋めようもなく遠いような気がする。

 私も一応、人に迷惑を掛けないように、人にされて嫌なことはしないように、という躾をうけて育ったのだが。(それが今の人格にどれほど残っているかは別として)こういう事実を見聞きすると、価値観やら道徳心やらその上に因って立つ自制心やらがどんどん危うくなってくる。

 こんな事が許されるなら。私がこの猫虐待者に対して、耳を削ぎ鼻を削ぎ、指を一本ずつ1センチ刻みにペンチで折ってから切り刻み、関節を一つ一つ外し骨を折り皮膚を破って突き出させ、皮膚を矧ぎ塩を擦り込み、はらわたを引きずり出して自分自身に喰わせてくれる――などと思うのも許されていいような気がする。(すいませんね、日頃から悪い本読んでて)
 そういう衝動を。こっちは日々世間様に迷惑掛けまいと堪えて、真面目に善良にと努力して生活しているというのに。人混みで火のついた煙草を持ってるおっさんを張り倒しもせず、ずうずうしく割り込むおばさんに蹴りをくらわせもせず、やかましく騒ぎ他人にぶつかりながら走り回る子供を階段やホームから突き落としもせず、彼等にだって幸福な人生があって怪我でもすれば哀しむ人もいるのだ、と考え、つとめて寛大に柔和にしているのに。
 そういうタガを自分勝手に外しちゃった輩が、どうして許されていいのだろう。

 命はみんな尊いから、などと言うつもりはない。私だって日々牛や豚や鶏を殺傷した結果を食らって生きている。牛や豚や鶏だから違う、という意見は却下。豚をペットにする人もいれば、犬猫を食う国や地域もある。犬を食う韓国の習慣を私はそれはそれと認めるが、一度気持ちを向けられたカマチートを料理することはもう耐えられないだろう。
 しかし、そういう葛藤を抱えながらも、殺傷そのものを愉しむようになった輩は、さすがに無条件で許されんだろうと思う。

 考えているうちに、先日公判がはじまった、大阪の児童殺傷犯の言葉も思い出した。あの殺人犯もこの猫虐待者も、何か「しちゃいけないこと」の感覚に、私とは大きな隔たりがあるように感じる。(「こんな騒ぎになるとは」というコメントは聞いたが、猫殺し自体を反省したという声は聞かない。殺したこと自体も言を左右にして認めないらしい)
 基本的に私は、罪は償うことができると思いたいが、彼等のことはとても理解できないし、いつか許せるとは思えない。

 私は、幽霊にも呪いにも恐ろしいという感覚が正直湧いてこないのだが。こういう連中へ抱く言いようのない不快感と、それに反応する自分の猛々しさ、何とも言えない生ぬるくどす黒いこの感覚を恐れる。

 私がまともに見ることが出来たのは、虐待前の猫の写真まで。まだ綺麗で、機嫌良さそうにしている。笑っているようにも見える。
 でもこの後起こったことを思えば、この写真の方が痛い。

 自分で署名運動を始めたいと思うほどの情熱はないのだが(そも署名って、今の日本の制度ではどのくらい効力があるのだろうか)何か言いたくなって書いてみた。まだ興奮に流されていて、冷静ではないのだが。
 とりあえず「少年トレチア」でも読んで気を静めよう。(人によってはかえって激するかもしれないが)


★勝手にリンク 五月の猫虐待事件についての対策サイト
 虐待写真には表示前に注意書きが出ています。コメントはちょっと情緒的だと思いますが、事実関係を確認するには良いでしょう。関連リンク集もあります。