(遊)雑感とご贔屓作品
初出 '04/06/11 19:08


 フランス人女性クロエ・ウルスラさんは大変な親日家です。
 このほど、かねて交際を続けてこられた仏文学者の円地氏とご結婚され、名前が変わりました。
 クロエ・U・円地


……ちょっとまた考えよう……

 最近感想文が遅いのは駄洒落が思い付かないせいと噂の管理人です。
 何か志が低いような気もしますが、続けて行くには色々な括りに頼るところがあるよな、とも思うもので。

 ともあれ「黒い遊園地」について。

 四月に発売された後、五月の大型連休という時期がありましたね。既に日本列島も梅雨入りしてしまいましたが、まだ晴れ間にはなかなか気持ちの良い天気の戻る季節で、行楽シーズンでございます。
 休日に晴れていたりすると、折角だからどこか遊びに出かけてみようかと思ったり。所帯持ちの方なら家でごろごろしてると「どっか連れてけー」とお子さま方にせがまれたり。
 バブル以降、日本には地域興し等を狙った各種テーマパークが花盛りで、大抵の地域に何かしらの遊戯施設があります。行ってみると休日などはどの施設にも店にもとんでもない長蛇の列があって、「ちくしょー、何しに行ったんだかわかりゃしないー」なんてことも。
 それはさておき。

 遊園地とは造られた祝祭空間。魅惑的で愛想の良い顔をした異界。
 わざわざおあしを払って入るからには、当然誰しもそこが「非日常を愉しむための場所」と承知している筈で、華やかで楽しげだったりどきどきわくわくしたりさせられるところだけを見て過ごすわけですが。
 大人になってしまった私たちは知っています。現実に存在するモノであるなら、実は華やかで鮮やかな部分だけではないことを。そういうところをつつき回すと興冷めだから、「お約束」として遊んでる間はあんまり見ないようにするでしょうが、全然気付かないわけじゃない。

 そこで今回の巻のタイトルは、「黒い」遊園地。何が黒いのか、どう黒いのか、というのは著者各人の料理次第ですが、明るく楽しいだけではない、遊戯施設の影の面を指すのだろう、と見当はつきます。
 巻頭の言葉でも引かれていますが、怪しげな祝祭、というと思い出すのはその昔ひもといたブラッドベリ。この巻のタイトルも当然「黒いカーニバル」を踏まえているわけですし、他にもブラッドベリは移動遊園地やサーカスや見せ物小屋を題材とした多くの作品を残しておりますな。グロテスクであったり、恐怖と不安を掻き立てたり、あるいは切なくほろ苦く思い出したりする非日常の物語を。

 思えば「夏のグランドホテル」あたりのいくつかの収録作にも似たことが書かれていましたが。ずっと生活するための場所ではない、本来落ち着くべきでない場所、特異な状況に人を集める空間には、何らかの特殊な「場」が形成されるように思います。遊園地もまた然り。
 例えば、ネオンに彩られた夜の遊園地を見るとき。こんなに美しく楽しげなのは、この情景が泡沫の如き祝祭故かもしれない、と思うことがあります。
 まあ大規模な商業的遊興施設となると、建造費用の元をとるまで可能な限り営業はするわけで、その間は継続してそこに在るわけですが。それでも「客」の側からしてみれば、やはり一時の祝祭なのですね。「日常」の中からは遠くに見て、美しく楽しく思い出す場所。
 でもずっとそこにあると思っていたら、いつの間にか寂れて閉められていたりする。そうした喪失感も収録作のいくつかで取り上げられていて、我が意を得たりと感じたことです。
 感傷と片付ければそれまでだけど、遊園地とはそも様々な感傷を味わうための施設ではありますまいか。知らないうちに喪なわれていたと知った時の寂寥感も、遊園地が最後に残してくれたサービスなのかも知れず。

 というところで今回のご贔屓作品です。
 色々考えましたが、結局ランク付けすることはできませんでした。それは捨てがたい、ということでもあり、どれかが飛び抜けては感じられない、ということでもあったのですが。
 まあ多用な遊具を並べて見るというのも「遊園地」テーマに相応しいかもしれません。以下、ランクなしで気に入った作品を5作ピックアップしてみました。

  ご贔屓の作品 & [コメント]

 「未来の廃墟」小中千昭
 廃墟写真集というのは、静かなブームになっていると聞いたことがあります。本巻の収録作のうち、「失われた遊園地」を取り上げて最も成功しているのがこの作品でしょう。
 つわものどもが夢のあと、なんてことを第25巻「獣人」のコメントでも書きましたが、かつて描こうとしたのが「輝かしい未来」であっただけに、この作品の廃墟には世の無常を感じることです。
 フュー太と一つに戻って、彼は本当によかったのか。なんて後ろ向きな約束の地。でもそういう選択しかないと思えることも、あるのでしょうね。

 「コドモポリス」牧野修
 いつもながらの倦怠や焦燥・不安・苦悩を描く技量の確かさに加え、今回は「ビニル茸」のイメージの鮮かさと異様さに感嘆。無邪気で、奇妙で、どこか愛嬌があって、とはいえできればすぐ近くには居て欲しくない不安な感じ。
 「コドモポリス」とは、文中で憧憬を込めて語られながらも、やっぱり幸福なイメージとは重ならない場所に思えます。
 でもそう感じるのは、私が大人になっちゃったからか。

 「使者」皆川博子
 主人公と作家志望の美青年の、手紙や視線に秘めた(篭もった、というべきか)感情がなんとも濃密。直截的には描かれないけど、表現の端々に淫猥なものを感じますな。(これは私の感受性が歪んでいるせいだけではない、と、思いたい)
 この時代にこんな遊具が、という驚きもあったのですが、船の落下の動きと主人公の心情の危うさが重なり、不思議な酩酊感を覚えました。言葉の美しさに幻惑されたというのもあるのでしょうが。

 「東山殿御庭」朝松健
 この庭を「遊園地」ならしめる「それ」について、最後まで引っ張ってくれましたな。これも死の遊具、魔性の乗り物か。
 この作品の一休和尚と森女のコンビはなかなかお茶目ですね。今後またコンビで再登場しないかなと思います。(だけど本作品の彼女は観音様だから難しいでしょうかね?)
 ところで「異形」で朝松氏の室町怪奇短編を読み続けていると、つい共通して登場する人物の背景を思い起こしもします。本作で出てくるこの人は、そういや「恐怖症」収録の「荒墟」ではあんなことしてるんだよなあ、などと。読み返すと二度三度美味しい連作と言えましょう。

 「赤い木馬」加門七海
 ファンタシィとホラーの両方に立って見せる幻想絵巻。昼の光の下では近寄りかねる怪しげな世界が、月光の下では誘惑を仕掛けてくる。
 ところでこの最後に現れるこれは、こういうのも走馬燈と言うんでしょうか? おみやげにもらったとはいえ、生涯あの夜の記憶に括られて生きるなら、それは呪ではないでしょうか。

 その他の気になった作品について、以下に少しずつ。

  「よい子のくに」朱川湊人 雰囲気のある情景だけど会話がどこかぎくしゃくしているように感じたのですが。読み進むと、そりゃぎくしゃくもしますな、こういう集まりでは。惜しむらくは、何故遊園地? という部分が気に掛かる。
  「番人」飛鳥部勝則 冒頭にわざわざ伏線を張ってますが、リアルでやるとおかしくも不気味な代物。ところで舶来品なのにどこでそんな遊びを覚えたんでしょう、鎧騎士。
  「見果てぬ夢」黒岩研 ずっと馬鹿にして嫌がってた妻子に、一度は連帯感や愛情を取り戻しながらこれとは。で、なおかつ救いのないままに終わるのですね。
  「少年と怪魔の駆ける庭園」芦辺拓 思えばデパートの屋上遊園地というやつは、そのまま大きな箱庭。花筐探偵のお陰で「自分」を取り戻してめでたしめでたしだけど、でもそれは本当に本来の姿? などと思い付いて、ふと怖くもなる。
  「在子(ねねこ)」木原浩勝 恐怖は過去の一時のこととして語られてますが、不思議と和やかな余韻を感じる。しかして「ねねこ」とは一体何物? 河童のようなものか、と収まりのいいところで納得しかけるけど、それも正しくないのでしょうね、きっと。
  「迷楼鏡」立原透耶 スケールの上ではおそらくこの巻の最大の遊園地。でも遊戯の方向性がこうだとまるで様相が変わりますな。金と権力があると大人って大人って。(とはいえ現代でもごく小規模になら存在しないではない、オトナの遊園地)
  「月夜の輪舞」石神茉莉 遠くに見えるのに行けない遊園地、とか、大人も子供も何か秘密を抱えるようになる、という体験は、実は誰しも覚えがあるんじゃないでしょうかね。
  「菊地秀行のニッケル・オデオン」菊地秀行 三作目が特によろしい。相当悲惨な状況でも人間ってば、結構馴染んて愉しんじゃうものだなあ、とひんやりした笑いを感じることです。
  「楽園に還る」井上雅彦 ゴジラで霧笛で幾多のスクリーム・ムービーに恐怖と期待と不安と憧憬とを配合した、これも醸造ノスタルジィの一篇。

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