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更新履歴 2003年7月〜9月
2003年7月〜9月のサイトの更新の記録、及び管理人の周辺など。
下に行くほど古い記録になっています

2003年9月30日
余計な物想い
 ブリーフケースという言葉を見聞きするたび、ぱんつ入れを連想するのは私だけか?
 いや調べたらほかにもたくさんいたらしい。同志よ。

 "organic"と聞くと体に良さそうなのに、"organic solvent"は明らかに体に悪いのは何故だ。
 #organic solvent:有機溶媒。溶媒として用いられる液体の有機化合物で、アルコール類、ケトン類、芳香族炭化水素など様々な物質が用いられている。具体例としては、メタノール、エチルエーテル、アセトン、トルエンなど。

2003年9月24日
余計な物想い
 なんとなくあったらやだなあと思う物。Franジャンバラヤ味。

 じゃあモスからジャンドゥヤ・バーガーなんてのが出たらどうよ、と想像すると、それは食べられなくもないような。要はヘーゼルナッツ・ペーストだし。なんと世の中にはチキンのチョコレートソース掛けなんて料理も存在するのだ。どんな味かなあ、どきどき、ぞくぞく。

2003年9月23日
余計な日常
 トマト缶詰のストック他があるので秋刀魚をトマト煮込みにしようと思い、夜になってスーパーの鮮魚売り場へ行ったら、売り切れていた。
 氷水の入ったトロ箱が残っているばかり。がーん。
 けっ、貧乏人が安い魚ばっかり喰ってんじゃねえや〜(私もまぎれもなくその一部だが)とか、誰が一尾98円も出して秋刀魚を買うかよ〜(それでも安いと思うが)などと負け惜しみを呟きつつ、他の食材を買って帰る。
 だけど、シーズンが終わる前に再び見えたいものである。
 あ、トマト缶はめでたく骨付き鶏肉と煮込みになりました。でも缶詰なんだから、慌ててトマト煮込みにしなくてもよかったかも。

 引き続き折に触れて、「アジアン怪綺」のことを考える。
 思い出すのは学生時代の風景。教室と言わず廊下・階段・外通路といわず、どこもかしこも散らかり放題のキャンパス。――アジビラゴシック体。
*いつの生まれだ、年齢詐称してないか、と思われるかもしれませんが、地方の学校では割と近年まで元気に活動しておられたりしたものです。(今のことは知らない)あの方達のビラは独特の強調書体をお使いなのですぐ分かりますね。守らねばならない伝統なのか、熟練のレタリング職人がずっと頑張っておられるのか存じませんが。
 早めにやるはずのテストの日にバリストで校舎封鎖され、力無く戻って行かれた独語の先生のことなども、久方ぶりに思い出したことです。

2003年9月17日
 「教室」を読了。感想文はまあ追い追い。
 つらつらと、次巻「アジアン怪綺」について考える。イメージの膨らむ響きではあるが。

    「そう、全ての謎解きは、この大福餅の中に」
     ――漉し餡ロジック

 どなたか本格バカミステリの名手が執筆してくれたりしないかしら――ってどんな代物になるのや。

    「京土産の豆菓子や。よう噛みしめて食べや〜」
     ――味わう五色豆。

 なんだか、とても遠くへ来たような気がするの。

2003年9月15日
余計な日常
 夕食にサンマを焼く。今年は豊漁だそうで、安くてよござんす。
 猫どもが匂いに落ち着かなくなったので、焼き上がったところでしっぽを分けてやる。
 副食のサラダにブロッコリをゆでると、お嬢猫がさらに落ち着かなくなったので、ゆだったところで茎をやる。(何度か書いたような気もするが、好物なのだ。分けてやらないと隙を見て略奪する)
 食後、サンマの中骨と頭もやる。後で見てみたら頭の一部が残っていて、床に敷いた新聞紙に油染みがついたりしてたようだが、まあ楽しんだならそれもいいのだ。たまのことだし。
 サンマには三匹とも心惹かれていたようだが、大半はお嬢猫が食べたと思しい。ブロッコリとサンマ中骨の夕食とは健康的――なのだろうか。

 ところで甲子園では阪神の優勝が決まったとかで、大阪の街はえらい騒ぎだとテレビが伝えております。ま、よろしいんじゃないでしょうか、十八年ぶりだそうだしね。
 真弓だバースだ盛り上がったあの年からもう十八年ですか。わしらが年をとるわけじゃのう。
 ともあれ、おめでとうございます。

2003年9月12日
 執筆陣リストに二つのファンサイトリンクを追加。飯野文彦氏とホラー評論家笹川吉晴氏を応援するファンサイト「惑わしノヰズ」と、梶尾真治氏のファンページをコンテンツに含む「idris’s HomePage」です。
 どちらも少なくともご本人の黙認ページではあるようです。「idris’s HomePage」は単行本未収録作まで含めた詳細な梶尾真治著作リストが秀逸。「惑わしノヰズ」は現在トップページに置いてあるムービーがお勧めです。ぷぷぷぷ。

でー「懐中電灯」って一体何のことかしら? ねえ。

2003年9月11日
余計な日常
 そういえば、ニューヨークの双子の巨人――ならびにそこにいた多くの人々――の命日であったね。
 多くの日本人の日常はこともなし。
 とはいえ、いずれこういう記念日だらけになるやも知れず。
 考えてみたら、米軍のアフガニスタン侵攻もイラク侵攻も日付を思い出せないのだった。宣伝効果ってこういうことか。

2003年9月10日
 ようやっと「教室」入手。(昨日は散々探して結局見つけ損ねたのだった)
 そういうわけで祝発売

 カバー見返しには次の巻のお題が出されている。「アジアン怪綺(ゴシック)」だそうな。
 それは、美味だが骨の多い近海魚で滑らかな餡掛けを作成する際に使用する器具。鯵餡漉し器。    ああ自分が分からない…………

2003年9月9日
 「教室」Amazonbk1にもページができて、そろそろ店頭にも出ていると思しいけどまだ入手していない。
 まあ書影が出ていればとりあえず参加作家陣を確認できる――と、眺めてみて仰天。
 石持浅海氏なんか登場してる! 「アイルランドの薔薇」の!(いや実はまだ読んでないのだが、評判はかねがね)ははー、そういや「本格推理」出身の方でしたっけ。
 更にか、恐怖漫画から犬木加奈子が!! うひゃー、「学校の怪談」だからホラーコミックの参加はありそうだと思ってたけど、こう来るか!
 既出の恐怖漫画家陣高橋葉介氏と伊藤潤二氏は口絵参加でしょうかね。これは早急に入手しなくては。

余計な日常
 歯医者の治療が山場を迎える。
 施療中は麻酔が効いてたからそれほどとも感じなかったが、思えばなんか不穏なぶちぶちいう音と、蛋白質の焦げる臭いがしていたのだった。
 そして淡々と作業を進めていた先生が、白ゴム手袋の指先を引き上げた時、そこには明らかに赤黒い色彩があったのだった。さらに「ちょっとお口の周りふきますねー」とスポンジで拭ってくれたのだが、そのように丁寧に拭うほどの何が付着していたのか想像しかできないのがもどかしいのである。
 これはやはり、見えないから余計厭な感じがしたのではなかろうか。鏡かなんかで作業中も見せてくれればいいのに――なんてことを思うのは、私だけか?
(や、だって、痛い思いをして相当な出費もあってだね、せめて何かで元を取りたいと思うじゃないですか。――だめ?)

 切開された歯茎からは、まだ多少出血している様子なのだった。頑張れ抗生物質、頑張れ塩化リゾチーム、そして頑張れマクロファージと好中球――あれ?;
 *余計な解説:塩化リゾチームは炎症をやわらげる薬品です。マクロファージと好中球は炎症部位に集まって病原細菌や壊死物質を貪食・消化する炎症細胞です。

2003年9月8日
 「教室」ネット書店にも次々ページができてますね。ネット書店当該ページへのリンクを張りました。
 既に見本が出ているという話だし、そろそろ大都市圏では店頭にも並んでいるか。

2003年9月7日
余計な日常
 組み立て式の本棚を立てたので、漫画だけまとめて置いてみる。
 足りない本がある。がーーーん。
 あれとかあれとかもう一回買うんか。今なら漫画文庫に落ちてた筈だから、入手は難しくないだろうけど……でも買った後で出てきたら間抜け。いやそれ以前に好きな本だっただけに哀しい。
 これも執着の無限地獄というやつだろうか。連載途中で挫折したシリーズなんかはぼちぼち手放そうかな。

 涼しくなったら、就眠時にマダム猫が寄ってくるようになった。電気を消して横になると、「るぅぅう」とか唸りつつとてとて駆け寄ってきて、布団の上から私の脚を確認し、間に丸くなるのである。
 何故脚の間。彼女の「へてん」は慣れたもので、柔らかく寄りかかるためそう衝撃はないのだが、夏掛けの上から縫い止められた状態で眠りに落ちるのはちょっと得心のいかないものがある。
 まあこれはいい。多少暑苦しいこともあるが柔らかい猫の感触は悪くない。ただマダムに関しては、布団から私の足先が覗いていると、猫パンチ連打(ちなみに爪突出状態)ならびに抱え込み猫キックをお見舞いされるので、こっちはちょっとたまったものではないのだ。
 悲鳴を上げつつ「何がしたいのだ君は!」と問いかける日々である。

2003年9月6日
余計な日常
 暑い中を渋谷まで出かける。家を出てから履き物の選択を誤ったことに気が付くが、それでもとりあえずがんがん歩く。
 第一の目的地で幻想絵画に幻惑される。湾曲し蛇行して描かれた建造物のせいか、色彩と陰影に私の中の妙なスイッチが入ったせいか、はたまた単に疲労のせいかはわからないが、眩暈を覚えて財布の紐まで緩みかける。
 こちとら貧乏人なのにこんなのなんて一生もんだよなカード利くかなでも絶対何年か後には値段上がってるよないやいやそんな判断で買うなんざさもしいことこの上ないぞ!(手放すつもりもないし) だけどこの綺麗なのはとても手がでないお値段だし、こっちの素描なら買えないことは、むくむく不敵な上目遣い黒猫像なんかあるし、でもほんとはできることなら色の綺麗な幻想絵画がいいんだよな、しかしてうちに「お迎え」したところでちゃんと面倒見ることができるのか――
 と、散々逡巡した挙げ句、やっぱりカタログだけ買って帰ったのだった。いつかお迎えできるくらいの余裕のある身になりたいものである。
 まあほんとは財布の紐が緩みかけた理由も分かっているのだ。通院している歯医者から、保険の利かない治療法になるので最終的には四万は掛かるよと予告を受け、お陰で気が大きくというか投げやりになっていた、という。
 幻惑と疲労のせいでちょっと気持ちがくじけかけるが、一服したら大分元気になったので、展覧会も見る。展覧会のショップには引っかからないで済んだが、ついでに本屋で画集など買う。図書券が使えないにも関わらず。やはり何か消費の妙なスイッチが入っていたらしい。
 まあ、出費の分の元は十二分に取れたからいいのだ。また貯金しよっと。

2003年9月4日
新着情報
 「教室」手塚眞氏登場だそうです! これはびっくり。(ご本人のサイトに情報が出ていました)
 小説も書かれるとは――て、早川のホラーアンソロジー「血」にも参加されてましたね。「教室」掲載の新作も楽しみなこと。

2003年9月1日
 7月の更新履歴を切り出し。

余計な日常
 豆腐の角に頭打ち付けたい心地。
 せめて無駄にはするまい。

余計な思いつき
 「北野勇作どうぶつ図鑑」があるのなら、「牧野修しょくぶつ図鑑」があってもいいのに。紛らわしくっていいぞ、きっと。
 とはいえ、牧野作品の中から何か植物にまつわる物を挙げられるわけでもないのだが。(何かありましたっけ?;)

2003年8月30日
余計な日常
 最近のヒットCM。サントリーの缶コーヒーBOSSの、西部劇仕立ての新作。
 何に驚いたって、尼僧姿の叶姉妹。最初に見たとき思わず高笑い。いやそら「シスターズ」ですけどさ。ああまで禁欲的な服装だと一瞬誰かと思っちゃいますね。あの派手にして露出度の高い装いを、いい加減視聴者も見慣れてしまったが故の衝撃か。
 他の出演者も、引き続きメインの浜崎あゆみに原田芳雄、曙ときたもんで、それが全員ウェスタンな恰好をしてるもんだから、私なぞは思わず「椎名林檎のビデオクリップかよ」と――
 それも何か間違えているかしら。

2003年8月25日
 「横溝正史生誕百年祭」に新刊情報その他を追加。
 うむー、まだまだ知らない話がたくさんあるなー。どこまで掘り起こされる横溝。(や、流石に全部は手を出しませんが;)

2003年8月22日
 「教室」収録作についての情報だが、実は今回はあんまり熱心に探していない。
 何故かというと、「異形コレクション」と「教室」で検索かけると、余計な物がいっぱいかかりすぎるからです。
 この次の巻は、もっと他で見かけなさそうなタイトルにして下さい。できれば。

 それと、当サイトに検索「感想文」その他で辿り着いた方々へ。
 夏休みの宿題に追い込まれてのこととは思うが、うちのサイトの感想文見ても宿題の役には立たないと思うよ。自発的にネットに垂れ流すブックレビューの類と、学校の期待する読書感想文って、月とスッポン、チョークとチーズ、カタクチイワシとカンムリワシくらい違う物だから。
 それに短編集って宿題用には使いにくいと思うんだけど。収録作のどれかに絞って語るか、それとも全作ちょっとずつ触れるか、とかいうことにもなるし。
 というか、こんな酔ったような感想、参考にできるもんならしてみやがれって感じ。
 夏休みの読書感想文、「異形コレクション」『獣人』とか『恐怖症』とかで書く児童。うわあ、すごく厭――というか、末頼もしいというか。
 あるいは、もうちょっと古典的名作ということで、『櫻憑き』から「桜の森の満開の下」とか「桜の樹の下には」で書くなんてえのも、想像するだに宜しい。きっと先生に凄く喜ばれるか、できるだけ近付きたくないと厭がられるかどっちかだ。ほほほほほほ。
 あと残すところ一週間ばかり。みんな頑張って〜ね〜〜〜〜〜。

いや、私も他人事じゃないんだった;

2003年8月20日
 異形トップのBlaster対策のお願いに、新亜種別名Welchiaの情報を追加修正。ちょっと笑いごとじゃない被害になってきてるようです。しかもこっちは、日本がぶっちぎりで感染数トップだし。
 ついでに、そろそろ危険性が叫ばれてるらしいメール媒介型の新ウィルスSOBIGについても追加しておきました。米国あたりで感染が拡大してるようですが、まあこっちは添付ファイル開かなければいいそうですし、そもタイトルや本文が英語のようだから、ほとんどの人は問題ないかもしれませんが。

2003年8月18日
 「教室」暫定データページに価格、ISBN番号、発売予定日情報を追加。
 でもどこまであてになるかな。「夏のグランドホテル」も実際の価格は変わってましたからね。

 戯れ書き「名残」を置いてみる。どんなんか、と訊かれたら、ヨコシマと駄洒落としか言いようがない。

2003年8月17日
余計な日常
 数年ぶりに会った友人とお台場まで出かけ、東京テレポートセンター日本科学未来館大江戸温泉物語(ここは売店のみ)、デックス東京ビーチ東京ジョイポリスなどに行く。雨で涼しいのをいいことに、がんがん歩いたことである。おかげで帰宅してからふくらはぎの筋肉痛に気が付いた。きい。

 ところで日本科学未来館は初めて行ったのだが、高度なハイテク展示物を並べてある割には分かりにくいような。文字の説明って意外と読まれないものだし、大雑把なイメージの模式図というやつがほとんどないので、いきなり高度な技術だけ見せられて困惑させられる、という感じ。
 例えば、ATCGを書いたパネルを並べるだけで遺伝子暗号とは何ぞや、というのが分かるとはあんまり思えないし、水入りのペットボトルで蓄熱、という省エネシステムの展示も、どうやって熱を利用してるか分からない。
 しかしそれはそれとして、勝手に愉しむ私達であった。スーパーカミオカンデの模型のところでは、
「これだけたくさんセンサーが設置されているというのは、それぞれ全部特徴が違うんだよ」
「そうなの?」
「センサー万別つーてな」
 脱力する友人とともに模型から出て、実際に使われているセンサー(一見して巨大電灯、例えればスタジアム用の照明みたいなの)の前で説明員の方(ボランティアらしい)に話しかけた。
「点灯するとすごく熱くなるライトみたいですね」
「ライトではないんですよ、センサーなんです」
「ふーん……一種類しかないんですか?」
「一種類だけです」
 友人は、背後でちょっとばたばたしていたようだった。
 歩き回りながら、このわかりにくさ解消にはどうするべきか考えてみた。ASIMOのみならず、それぞれの技術のイメージを示すキャラクターを置いたらどうだろうか。たとえば「天文台すばる君」とか「DNAシークエンサ君」とか「燃料電池車KAZ君」とか、「スーパーカミオカンデ君」とか。スーパーカミオカンデなんざ名前からして巨大ロボットみたいだし。
 いや、やってることを考えれば「君」どころじゃなく「老師」あたりかもしれん。どっしりと座して己が内を澄ませ、遙か天空からの声に耳を傾けるのである。きっと悟りだって開いているに違いない。(「電波が、電波が呼ぶんだよぉぉぉ」とかいう発想に行ってはいけない)
 日本科学未来館の館内では一階の売店が一番混み合っていて、それはえらい騒ぎであった。
 でも実際ここが一番面白かったんである、手間と金を掛けた展示物よりも。まあ確かに、巨大な球形スクリーンで「火星儀」「地球儀:現在の地球、温度分布」なんてのを見せてもらえるのも楽しかったんだけど、宇宙食パック(基本はフリーズドライ)やら「大人の科学」やら岩石標本セットやら各種実験器具やらが並んでるところは、眺めてるだけでもすぐ時間が経ってしまうのだった。
 やはり商売っ気がなくては、ほんとに面白い物はできないということだろうか。

2003年8月15日
 戦没者の皆様のために黙祷。
 もはや戦後ではなく、戦前なのかもしれず。やだね。とはいえ参政権を持つ年になってる以上、他人のせいとばかりも言えないし。

 異形トップのBlaster対策のお願いを一部修正。勝手に再起動は厄介だけど個人情報盗むんじゃないなら当面そんなに害は――とか思ってたら、16日にマイクロソフトに一斉攻撃とは。コントローラーを盗まれた鉄人28号状態、というよりは洗脳されたレミングの群か。誰が作ったか知らないけどえらい迷惑な。サイバーテロ兵器か?
 でも活動期日以前に感染がユーザーに自覚されちゃったということは、兵器としては欠陥品なのか。
 どうせみんなでちまちまやるなら、もっと役に立つとまでは言わないが、罪のないことにしとけばいいのに。千羽鶴とか、SETIとか。

2003年8月14日
 「横溝正史生誕百年祭」に新刊情報を追加。これで未収録作も含めてシリーズ全作読めるようになりましたかね。でもまだ私は入手してないのだった。ついでに情報ログの切り出しと、ディレクトリ構成の変更をしてみたりする。
 横溝コンテンツは、いずれ短い読書メモもつけたいな、などと思いながら現在まで来ているのだった。いや、あんまりするする読めちゃうもんでね〜……ううう。

 異形トップのウィルス対策のお願いをBlaster感染対策に書き直し。感染・攻撃とそのための再起動以外に何をするわけじゃないらしいですが。
 ともあれ早めにアップデートを。(でなければ98に戻してしまうとかだな)

2003年8月12日
 執筆陣リスト飛鳥部勝則氏の項に、公認ファンサイト≪あすかべ白書≫へのリンクを、乙一氏の項に集英社のサイトに置かれた特設ページへのリンクを追加。
 ≪あすかべ白書≫には飛鳥部氏がこれまでに発表された絵画やインタビューも掲載されています。相互リンクしていただきました。m(__)m
 集英社の乙一ページはちょっと動画多用ぎみのような。まあスキップできるんですけども。

2003年8月11日
余計なもの思い
 そっちこっちで話題にのぼっているようですが、最近のニュースから。
 横浜カレーミュージアムで人気メニュー「らしゃめんカレー」の名称が性差別との抗議で改称、新名称を公募だそうな。
 ら、らしゃめんかれえ……なんつーネーミングや。
 『「蔑視」どころか「律儀・倹約」などとして意味をとらえて』の命名だが、『わずかでも指摘のような不快感を覚える市民がいるのであれば改名したほうがいい』という経緯とのこと。――いやあの。差別かどうかの判断を置くとしても、これはいくらなんでもあんまりじゃなかろうか、って気が。
 だっていかに言い繕おうと、意味するところを思えば。しかも元が俗語なので、あんまりいいニュアンスでなかったことくらい推して知るべし。引き合いに出すのもやな言い方だが、「らしゃめんの産んだあいのこ」とかいう使われ方だったそうで。(とはいえ私が引ける原典はせいぜい「ヨコハマ物語」「パンと懐剣」あたりなので、理解としてちょいと偏ってるかもしれませんが)
 まあ「らしゃめん」というタイトルでは、過去に映画が作られたりしているそうなので、「異国の男に仕えることになった悲劇の、情の厚い女」という美しくも哀しいイメージもあったのでしょう。(蝶々夫人とかね)
 でもなあ。類似の用法の、もうちょっと最近の言葉に置き換えてみると、その恥ずかしさがわかろうというもの。例えば、「現地妻カレー」「慰安婦カレー」「パンパンカレー」…………なんか、口にするたびに赤面しそうですが。開国当時横浜で洋妾の身にあった女性達が、実際はいかに堅実で献身的であったにせよ、その人々を示す言葉として「らしゃめん」はどうよ、と。
 まして、「ラシャめん」の語源(goo国語辞典)がこんなだとあっては。いくら「語源はどうあれ今の使われ方は」というスタンスにしても、さすがにカレーの名前に使うのは能天気すぎるんじゃないでしょうかね。

2003年8月09日
余計な日常
 一日颱風で降り籠められる。や、しかし週末でよかったなっ。帰省もとりやめたことだし。
 ほんと、遠出する陽気ではなかったですね。颱風の影響で足止めを喰ったり、水害などの被害に遭われた皆様にお見舞い申し上げます。毎年来るって分かっていても、コースによって影響が全然違うあたりが厄介ですね。
 今年は東北にははっきりした梅雨明けがないそうです。このまま秋雨前線に移行とは……自然の摂理とは言え。今から農作物への被害補償とか考えといたほうが良いのでは。

2003年8月08日
 Amazon.co.jpbk1.co.jpへの新しいリンクバナーを貼ってみる。本頁最下段参照のこと。
 面白がってリロードを繰り返す。でも別にリンク先へ飛ぶ訳じゃない。
 ま、今日は「陰摩羅鬼の瑕」注文したということで、勘弁して欲しいことである。(予約はしていなかったのだ、どうせたくさん出回るだろうから)

2003年8月05日
 数日前からきっぱりと夏が来ました。お暑うございます。

 6月の更新履歴を切り出し。
 思い付いて、秋里光彦石神茉莉乙一加門七海久美沙織竹内(岩井)志麻子諸氏の項に、bk1他のサイトで読めるインタビューorエッセイへのリンクを追加。
 いずれe-NOVELSの著者別ページなどにもリンクを貼りたいと思っているのだが……対象が多いこともあって予定は未定。
 それ以前に、「GOD」以前の巻の感想文のアップかな〜……でもこれ、うちにある昔のniftyのログデータを掘り起こさなきゃならないんだけど……;

 「教室」暫定データページ設置。いやあ、もう原稿入り始めてるって情報が。早いなあ、もう来月か。

2003年7月29日
今日の恥
 恥を忍んでご報告。
 私はこれまで「金口木舌」という言葉を見るたび(主にネットで)ウソ倍角だと思っていました。もちろん意味も読みも分からなかった。「ボタンがなんやねん」とか思うだけで。
 なんだ木鐸のことだったのかー……かー……かー…………ずーん

 ついでに先日指摘されたのだけど、わたしは一青窈「もらい泣き」の「君からもらい泣き」というのが、日本語としては変だというのに全然気が付きませんでした。「もらい」なんだから「君から」でいいと思っていた。
 ちょっと大人として色々拙いかもしれませんが、恥はかけるうちにちゃんとかいておくものだと思うので、ここに公表します。くくくくくく。
 何かあったら私に「金口木舌」とか「もらい泣き」と言ってやって下さいまし、ホームズに「ノーベリ」と囁くが如く。

2003年7月28日
 はたと気が付いて乙一氏の項目に、連載エッセイのある幻冬舎のページへのリンクを追加。ご自身のHPによれば「嘘日記」だそうです。さて。 乙一氏のHPにはファンサイト乙一FAN!から行けます。

 それから、宮城県内の皆様に地震お見舞い申し上げます。
 それにしてもこれだけの地震で、死者が出ていない(28日現在)ことがまだしも救い。宮城県沖地震の教訓が生きている地域だからでしょうが、ちゃんと対策していれば被害はかなり食い止められるという実例でありましょう。
 とはいえ、避難生活が続けば普通の人々の「災害対策」だけじゃとても対応しきれなくなってくるわけで、こういうときこそお役所も早めに動いて欲しいもの。援助物資とか復旧補助とか。日本では毎年必ず何件か地震や水害が起こっている筈だけど、対策は迅速に行き渡るようになってるんかいな。まだちょっと――大分不安。
 そういや夏場は早く片付けないと、廃材が腐るんだった。

 翻って自らの身辺を見直すと――とりあえず本棚はもうちょっとちゃんと固定するかな、みっともなく針金張り巡らしてでも。(実は壁板に固定しようとしたら、コンクリの柱と薄い化粧ボードだけなので木ねじや釘で固定できないことが判明したのだった)隣の棚と連結させるだけじゃ、共倒れするだけかしら;

2003年7月27日
余計な日常
 最近のヒットCM。ノバルティスファーマの爪白癬対策。これは怖い。
 微笑ましい結末だが、こんなことができるなら、きっとあんなことやこんなことも……
 そしてそうなってしまったら、もはやくぅーちゃんに助けを求めても遅いのだ。ってそれはCMが違う。

2003年7月26日
余計な日常
 本の箱の片付けをしていたら、「動物のお医者さん」のポスター発見! わーい!
 ……ということはこれは、連載当時の「花とゆめ」の付録! 呆れた物持ちの良さ!
 いやでも我が事ながら、捨てられなかったのは凄く良く分かる。――――貼ろっと。

2003年7月19〜21日
余計な日常
 ペットシッターさんに猫どもをお願いし、高原というかお山にある友達の家に遊びに行く。ところで誤解してる人もいるようだが、ペットシッターとは留守中ずっとペットについてて貰う訳じゃなくって、一日に1回とか2回、訪問での餌やりとトイレの始末などをお願いするのである。(だいたいうちの人見知りの若猫どもは、そんなことしたらえらいことになる)
 お山では馬鹿話をしたりボードゲームをしたり深刻な話をしたり「かずめさんは変態が好きだねえ」と言われたりする。ちょっと違うと思うけど、どう違うのか上手く言えない。くそう。

2003年7月16日
余計な日常
 電車で「フリーダ・カーロとその時代」展のポスターを見かけたのだが、フリーダ・カーロ像を見てゴルゴ13を思い出すのは私だけではないはずだ。ついでに県立御陀仏高校も。

2003年7月11日
 「夏のグランドホテル」は好調に売れているようです。一時Amazonの文芸書ランキングに入っておりました。
 うむうむ、今回はなかなか良いですからね。(おかげでご贔屓作をたくさん出してしまった)皆様にお薦めです。

余計な日常
 bk1からポイントが入る。わーい!
 ということで、懸案だったクラフト・エビングの本を注文する。値段がネックでずっとカート内の「今は買わない」に置いていたのだった。
 ちなみに、「クラフト・エヴィング商檜」の本ではなく「クラフト・エング」だが。いや、「語り手の事情」に出てきたもので気になって。

2003年7月3日
 このところ、当サイトに_この_ページから辿り着く人数が増えているような気がするが。
 もしかして1日付け↓の記述のせいだろうか。
 そうか君ら、そんなにメイド調教やSMプレイが好きか。(いやポイントはそこかどうかわかんないけどー)

余計な日常
 政治家舌禍シリーズというわけでもないが。今度は森前首相の「子供を一人も作らない女性の面倒を税金で見なさいというのはおかしい」発言について、つらつら考えていた。
 この発言を女性差別とする抗議が出たそうで、それも分からなくはないのだが、この文面からそれを言うことはできないような気がする。森氏の反論によると、発言した場は女性参加者が多い催しだったそうだから、森氏にしてみたら「子育てをしている女性」へのリップサービスのつもりだったのかもしれん。それはそれで間違っているようだが。
 問題を整理しよう。この発言は、「子供を作らない」人について言及していること、しかも「女性」と限定したこと、そしてそういう対象者について「(老後の生活補助に)税金を使うのは正統ではない」という内容から成る。
 おかしいのはまず「作らない人」という表現だろう。すると「作りさえすれば」税金で面倒を見てもらう正統な権利がある、ということになる。ならほとんど産み捨てでもいいのか。
 いやそら、産むこと自体も相当大変な事ですけどね、まともな成人に育て上げることだってむちゃくちゃ大変なのだから。世の中にはいわゆる「なさぬ仲」の子を懸命に育ててる人々や、教育機関や社会活動で養育の手助けをしてる人々だっているわけだしね。ここは「作らない」ではなく「育てない」「次世代の育成に関わろうとしない」とでも言うべきじゃなかったか。
 次に、言及の対象を「女性」に限定してしまったこと。女性差別として抗議した人々は、これを「男性なら子供を作るかどうかに関わらず面倒見てもらう権利があるというのか」と取ったようだが。
 ここに私は反論したい。(森氏の意図に関わらず、だが)この文脈で言うなら、当然「男性の場合子供を作るかどうかに関わらず税金で面倒を見るのはおかしい」という意味になるじゃないか、と。
 子供は男女で作るものなのだから、「子供を作らない女性」と同様に「子供を作らない男性」について言及するべきだ、というのが一般的な見解であろう。だけど今時、その気になれば、男なんぞいなくたって子供は産めるんである。ジョディ・フォスターのような例もある。日本じゃまだ夫婦間以外の人工授精は認められていないが、手段として存在する以上、少数とは言え議論から外すことはできまい。今後日本でも増えてくるかもしれないし、少子化を憂えるなら、そうした出産だって当然歓迎されるべきだろう。
 なに、性の乱れ? 家庭の崩壊? そうは言えまい。そも性交渉の介在しない出産に性の乱れもあるものか。それに、バブルがはじけて働き手が家庭に戻ってくるまで、「働くお父さん」達がほとんど生身で存在しない家庭なぞ珍しくなかったんじゃないか?
 それに。そも、精子バンクの利用を持ち出さなくとも、世の男性は自分のパートナーの産んだ子供が、自分の精子に由来するかどうかなぞしかとは分からないのだ。
 そう信じたい男性が信じるのは構わないし、血液型でもDNA鑑定でもやりたければやりゃいいだろうけど、実はそれってそんなに重要な問題じゃないと思うな。だいたい、自分の子よりも親類縁者の子供の方が顔立ちが似てる、なんてのはままある事じゃないかな? 少数遺伝子に支配されることが分かっている遺伝病などを除けば、遺伝的相同性なんて、発生過程や育成段階での栄養条件、住環境、生活習慣による機会的浮動の前じゃ、さほど類似の形質発現に寄与するもんではない。(だから遺伝子クローン技術も、大枚はたくほど期待に添った物かどうか怪しいと思うのね。猫のCC嬢を見れば分かる通り)そんなこときりきり気に病むよりも、育ってく過程でどう関わり合うか、の方がよっぽど大事じゃなかろうか。
 だからね、森氏のあの発言も、実はこういう意味だったんじゃないかな?
「私達男などは所詮モズに托卵されたヨシキリでございますので、戸籍上の親になったくらいで老後の面倒に税金を使って貰うなど元より論外でございます、女性でも産むことの出来る体で意図的に作らないのはもってのほか、子供を産んだ女性だけが老後まで手厚く保護を受けて当然でございます」――

 まあバカ話はおいて、ちょっと真面目な話をすると。
 もしこれが「子供を作った女性」もしくは「育てている女性」を持ち上げるつもりの発言だったなら、一番気の毒なのは父子家庭のおとっつぁん達かもしれない。下手をすると森氏の観念の日本国には、そんな人々は存在すらしていないだろう。(「何故子供の養育のために再婚しないんだ」とか平気で言う人もいるしね)
 ちなみに私自身は子供を持ったことも育てた事もない人間だが、税制や公的扶助の形で自分よりも子供を育ててる人々が優遇される事にはむしろ賛成する。でもいくら少子化でこの先の社会が不安だからって、次世代の社会人増員に貢献したかどうかで老後の保障を変えちまうのはどうだろうか。なんでってその論で行くと、子供を産み育てたけれども成人する前に死なれてしまった親御さん、なんてのは、ほんとに救いのないことになりかねないじゃないか?

2003年7月1日
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余計な日常
 ちょっと前の事になるが、自民党議の「レイプをする人は元気があっていい」発言事件ついて、その後もつらつら考えていた。
 こういう方はおそらく、少し前の時代の性的多数派の殿方達(敢えて「正常な殿方」とは呼ばない。それはそれで結構歪んでる場合も多いから)に存在した、「男女の仲は所詮やったもん勝ち」「男の甲斐性」といった考えが根深く浸みついていて、「レイプは犯罪」という知識はあっても感覚的なことは全く想像できないのではなかろうか。勝手な推測ではあるが、おそらくこの方は、今や絶滅危惧種と言って良い深窓のご令嬢のようにのどかな性的体験を経てこられたのだろう。まあ与党所属議員、閣僚経験者という権威の側に在る方なら、ごく自然なことかもしれないが。
 この方に限らず中高年の殿方には多いんじゃないかと思うが、「レイプ」あるいは「痴漢」という言葉を聞いても、「自分がする(かもしれない)種類の行為」としてしか捉えられないのでは。それは幼少−青年期を通じ不幸な経験を免れたためと推測され、それ自体は大変良いことなのだけど、だからといって責任ある立場の人々がこういう問題を実感として捉えられないのはあまりにもおめでた過ぎて困ったものだ。
 できるだけ早くちゃんと理解して貰いたいが、自分と関わりのない遠い世界の出来事のように感じておられたら、ぴんと来ないのも無理はなかろう。となるとここはやはり――――――――――――――
 あ、いかんいかん。怖い考えになってしまった。反省。
 いやなに、このところ 酒見賢一著「語り手の事情」なぞ読んでいるもので、刺激的な行為によって固定化した性的観念を叩き直せればなあ、などと想像を逞しくしたのだった。
 ついでに言えばメイド調教! とかSMプレイで偏頭痛肩凝り生理不順すっきり! とかいった余計なこと(乃ち妄想?)も。(や、正確にはそういう小説じゃあないんですが。念のため;)さて「卍崩し」ってどんなんだったかな、確か資料が……

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